初音森神社で知った地域とのつながり方

「日本橋を面白がる会」に参加してきました。
https://www.facebook.com/events/145033752879729/

「面白がる会」とは、難しい課題に対して、自分事として捉え今までの慣例や常識に囚われず、これからはこうだったらいいというアイディアをブレストする会で、日本橋以外でも神田をはじめ各地で開催されています。
私自身は前回に続いて2回目の参加でした。
 
今回のテーマは東日本橋にある初音森神社が会場。
神社周辺に人が集まり、参拝客が増えるためのアイディア出しを行いました。
初音森神社の宮司から社の歴史をお伺いした後、グループごとのディスカッションとなりました。
 
私が参加した理由は、お隣台東区で自身も町会青年部員として、また神社の氏子青年会会員として活動しているなかでの悩みを解決するヒントを得たかったから。
祭礼を始めとする地域行事の運営主体の後継者不足をどのようにしたら解消できるか、つまり新たに地域にお住まいになられた方が地域に対しどのような点に興味を持ち、どうすれば運営主体側に参加していただけるのか、を知りたいと考えました。
 
私は浅草橋にあった、すでに人口減少で廃校となってしまった中学校に通っており、神田川渡った対岸にあった初音森神社には小さい頃に馴染みがありました。
一方で、今回面白がる会に参加された方の中には、普段地域にゆかりのない方もいらっしゃいます。神社に日常的に親しまれていない方もいらっしゃいます。
そのような方が、どのような点に着目するのか、いやそもそも面白がる会という場にお金を払ってまで、食べ物を持参してまで参加して何を得たいのか、実に興味がありました。
地縁のない方が何を求めるのか、それこそが今後の地域活性の根本だと思ったからです。
 
ちなみに面白がる会のルールとして、偉そうにしない、他人の意見を否定しない、ということがあります。
中途半端に神社のことを知っている、下町の地域コミュニティ内のあうんの呼吸も知っている私としては、ついつい一言言いたくなる内容もあったのですが、そこはぐっとこらえて、皆さんの自由闊達なアイディアを楽しませていただきました笑
日頃コミュニティの内側にいる自分には絶対に出てこないアイディアが多く、自分自身の発想の限界や、思考の中で阻害要因を先に考えてしまっていることを痛感しました。
 
私の勝手な想像では、きっとイベントとか、コラボばっかり出るんだろうなと思っておりました。
もちろん、「人が集まる」きっかけづくりとしてイベントはアリだと思いますし、今回もそのようなアイディアは出ておりました。
その中で私の一番の気づきはイベントを企画するにしても一過性のコトにとどまらず、神社に継続的に親しみを持ってもらうにはどうすればいいかを、真剣に考えている方が多かったこと。
 
イベントが一過性に終わることの一番の要因はそこに必然性がないから。
 
とくに、町会や神社といった歴史的背景がある場合には顕著で、必然性がなければ、元からコミュニティに関わっている方々は協力しようと思いません。
そのあたりを結構皆さん意識されていて、地域産業である繊維関連の企業を巻き込んで必然性や継続性を持たせようとするアイディアには目からうろこでした。
 
さらにはイベントではなく、日常の中で継続的に親しんでもらいたいという声もありました。
 
私は「日本橋パパの会」http://papanokai.comという地域コミュニティの方とつながりを持たせていただいているのですが、その方からの
「新しく移り住んだ新参者ファミリーにとって子育ては孤独。幼稚園や保育園といった場を離れるとつながりを持てない。その解消の場が必要」というお話は、「入谷バツイチの会」会員である私には全く気付かなかったことでした。
聞けば初音森神社も地場の繊維産業がまだまだ元気で、職住近接だったころは、親御さんが仕事中にお子さんを預かる幼稚園の機能も持っていたのでそう。
 
いま、地域コミュニティの場としてハブとなるカフェなど「場」を運営されているケースがありますが、商業施設などの利害が絡まない、もしくは場がなくともつながりを持つことの重要性を感じました。
 
私は神社の利害関係者でもないのに色々な行事に奉仕し、それもボランティアどころか、青年会の会費やら、ご寄付やら自腹を切っているお祭り好き、いやただの物好きです。
世の中の物好き以外の方々にとって神社は初詣などで行くだけの場所と思っていました。ところが意外にも、住んでいる土地や、働いている土地に興味を持っている方々もいて、継続的なつながりを持ちたい、つながりを持つにはどうすればいいのか考えている人がいることがわかったことは大きな収穫でした。
 
私はいい年ですが、地域の共同体ではまだまだ下っ端、発言権は低いです。
それでも自分の土地で何か行動することを決意した夜でした。