リカレント教育の「目的」

私は今、夏休みを満喫しています。
社会人の夏休みというと1週間程度の会社の夏季休暇を想像すると思うのですが、違います。
大学院博士課程の春学期が終わって、夏休みに突入したのです。
4月中旬から約3ヶ月、色々知識を詰め込みすぎて頭が飽和状態になりました。コラムも書けずにおりました。(言い訳)
仕事はしていますが、授業がないだけでものすごく余裕な感じがして、まさに夏休みなのです。
 
しかし、大学院は与えられる場ではなく、研究する場。
夏休みだと浮かれることなく、レポートやら秋学期に向けた準備やらに取り組まねば…
そんな自戒を込めて、今日のお題は「リカレント教育」です。
 
去る6月29日に働き方改革関連法案が成立しています。その背景が置き去りにされて、「働き方改革」という言葉だけが独り歩きしている印象があり、私は安倍政権が経済政策の柱として挙げた「人づくり革命」や「生産性革命」と共にパッケージとして議論した方が良いと、感じています。
しかし、もはや人づくり革命という言葉は聞かなくなりましたね。
 
で、その安倍政権の「新しい経済政策パッケージ」の中に「リカレント教育」という言葉もあるのです。
リカレント教育というのは今までの教育が学校から社会に出るまでだったのに対し、一度社会に出た人も学び直しのために再度学校で学ぶことができる仕組みのことです。
閣議決定の中では、「誰にとっても『いつでも学び直し・やり直しができる社会』を作る」として、環境整備を進めるとあります。
実際、教育訓練給付の対象拡大など、経済的な負担を軽減する環境は整いつつあります。
 
リカレント教育の担い手としては、MBAやロースクールをはじめとした専門職大学院、大学院(修士、博士)、民間事業者による資格取得講座などがあります。
ちょっとググるだけで、色々な学校や教育期間、資格などが出てきて、一生モノのスキルを身につけようだとか、転職に有利と言った謳い文句が踊ります。
 
ここで問題となるのが、どこで何を学ぶのか、ということ。
転職に有利だから学ぶのですかね?
いいえ、まず、何を目的に学ぼうとしているのか、その意義や効果を理解することが重要です。
 
学習の効果は教育機関によって異なります。目的に合わせて教育機関を選ぶことが重要になります。
知識や技術の習得や、資格取得ならば民間事業者の講座を利用すれば良いかと思います。
 
そして気を付けたいのは、資格取得について。
私は、資格取得は目標であって、取得そのものを目的化してはいけないと考えます。取得した資格をどのように活用するのか、その目的が不明確では、単に資格ビジネスにお金をつぎ込むだけのこと。
例え国家資格であったとしても、取得したからといって転職が叶うわけではありません。
もちろん、資格がなければ就けない職業もありますが、なくてもできる、いやむしろ資格のない方が資格取得者よりも活躍されている分野もあります。
 
単なる資格取得と、私が考えるリカレント教育との違いはその意義にあります。
リカレント教育は、主体的に学ぶ力の喚起や、継続学習・生涯学習に意義があると考えます。
資格取得のための学習は受け身となり、自発的な、主体的に学ぶ力を失いがちです。
資格取得の学習の過程で疑問や、問題意識が生じたとき、そこを掘り下げて考えるでしょうか。試験に出ない、となれば考えようとは思わないですよね。
車そのものに興味がない人は、エンジンのメカニズムなどを深く考えることなく、運転免許試験に出る項目だけを覚えようとする。教官も試験に受かるための講習をする。
これと同じです。
 
 「リカレント教育」の呼称が定着するきっかけとなったOECDの報告書では、リカレント教育を「すべての人に対する、義務教育または基礎教育終了後の教育に関する総合的戦略であり、その本質的特徴は、個人の生涯にわたって教育を交互に行うというやり方、すなわち他の諸活動と交互に、特に労働と、しかしまたレジャーおよび隠退生活とも交互に教育を行うことにある」と定義しています。
 
 その意味で、体系的知識の習得をすること、問題意識の本質的考察をすること、またそれができる環境に身を置くことが、リカレント教育の本来的な姿に近いと考えます。
 今、日本経済の成長を支えてきた終身雇用制に変化の兆しが見えてきています。外部労働市場が拡大や、中途採用やM&Aの増加により、異なったキャリアを持つ従業員が並立する環境の中も当たり前になりつつあります。
 企業が終身雇用を前提としたキャリア形成に基づく教育体制を構築できなくなる可能性もある中では、自発的な継続学習の必要性はますます高まってくると思います。これは企業側、労働者側双方に言えることです。
 そして何より、通常の仕事では出会うことのない、多様な分野の方々と机を並べ、議論を交わす機会というのは、まさに問題意識の本質的考察ができる環境に身を置くことになり、主体的に学ぶ力を喚起すると考えます。
 
 私も議論を交わすどころか、毎週末よ〜くクラスメイトと飲み交わしました。それだけでも価値のあった春学期でしたが、大学院に通った成果が「毎週飲みに行ったこと」に終わらないように、「人と地域をつなぐ仕事づくり」とは何ぞや、という本質的課題に取り組むべく、夏休みに準備させていただきます。