「根岸土」ってご存知ですか?

台東区に根岸という所があります。
江戸時代から文人の街として知られ、俳人の正岡子規が晩年を過ごした場所でもあり、子規が最期を迎えた住宅は子規庵として現存しています。
その根岸で「根岸子規会」という会があり、句会や街の歴史を調べる会などが分科会的に活動されています。
分科会の一つ「地図を読む会」に最近ご縁があって参加させて頂いているのですが、その内容が濃い。
 
メンバーの方々はアラフィフから80代の方まで、ベテランの方中心です。
会では文字通り古地図や文学作品を読みながら、現在の地図をなぞり、時には実際に歩いたりするといった内容で、メンバー各自でテーマを決め、毎月発表しています。
 
濃さ、というのはテーマに沿って調べる過程。
各地で歴史や文化について学ぶ場や、街歩きイベントはあるかと思うのですが、ネットでささっと調べてその情報が事実だと思って納得したり、本をさらっと読むことで知った気になったりしていることはないでしょうか。
この会では、本を読むことはもちろん、現地を見に行く、識者に聞きに行くといった、まさに本来の「調べる」をフルに行っており、さながら大学のゼミのよう、いや今時の大学生でもここまでやるのか、というレベルなのです。
 
今月のテーマは「根岸土」。
江戸時代後期から戦後にかけて根岸の地で取れた砂質の上質な土で、左官の世界でもその土を使った壁は「根岸壁」として知られ、関東では茶室の土壁などに重宝されたそうです。
また、日本の伝統色として「根岸色」というのがあり、根岸壁の色がその由来とのこと。
恥ずかしながら、私は根岸土も根岸壁も根岸色も知りませんでした…
 
メンバーの方々も根岸土という言葉は知っていっても、実物を見たことがなく、実物を採取したい、根岸壁のある建物が残っていないか知りたい、ということから、子規会メンバーのお一人がとことん調べて発表されました。
調べる過程では文献のみならず江戸の左官職人として有名な入江長八の作品を集める「伊豆の長八美術館」に問い合わせる、左官業の皆様の団体である左官工業共同組合に直接足を運ぶ、台東区の地質調査の結果資料まで入手する、といった「調べる」のフル活用。
その熱意と行動力には感服するしかありませんでした。
 
その結果、残念ながら「これが根岸土だ」というものにはまだお目にかかれていないのですが、どうも茶色に近いのであろう、という所までわかってきました。
ここまでならば調べた結果の発表止まりなのですが、続きがあります。
 
実は根岸壁が由来とされる「根岸色」ですが、緑がかった渋い薄茶色なんです。パッと見は緑ですね。
これが調べたように根岸土や根岸壁が、茶系の色味が強く緑系ではないとなると、根岸色の由来が通説と異なることにもなるのです。
これは学術的?にはなかなかのものかと思います。
 
ネットや本だけを見て、納得してしまうのではなく、自分自身で文献や資料を調べ、識者にも尋ねるなど調べた結果、通説を覆す可能性も出てきた。
この行動自体が、ネットという利便性と引き換えに私達が薄っぺらい知識で満足してしまっていることを認識すると同時に、SNSが発展したこの世の中でメンバーだけで知識や情報が共有されてしまっていることに勿体無さを感じます。
 
先日も浅草で浅草十二階と称された浅草凌雲閣の基礎と見られるレンガの遺構が建築現場で発見されました。
当初はそんなにニュースにならなかったものの、 SNSで拡散されたことで現場は遠方からも見学に訪れる方々で観光地の様相となり、ついに遺構の保存と記念碑の建設が決定しています。
 
これは、いつしかつながることで調べるという行為が薄れ、一方でつながることで広く知らしめることができた例かとも思います。
まずは地域の中で興味のあること、現在ではわからなくなっていることを調べる。
そして調べる過程や結果、資料や先輩からの言い伝えを残しつつ、発信していくことで、同志を増やしていく。
これも地域貢献、地域活性の一つのきっかけであり、方策の一つではないかということを根岸子規会に参加しながら考えました。
 
まずはとことん調べる。
地域活性の一つのきっかけになるかもしれません。
 
根岸でも建築現場で根岸土の採取跡なんかが出てきたら面白いですね。
根岸土や根岸壁の情報をお持ちの方は「根岸子規会」までご一報くださいませ!